新しい観念によって広がった心は、元の大きさに縮むことはない。

今日の言葉
新しい観念によって広がった心は、元の大きさに縮むことはない。

正月休みが明けアパートに戻ったら、部屋で育てているしいたけが繁殖していた。早速採りたてで焼いたら、驚くほどの肉厚さくさく歯ざわりに感動。産直のしいたけも買って良く食べるのだが、それとも全く違うおいしさ。勇気はないが、生で食べられそうな瑞々しさとピチピチ感だった。最近若い子が農家を志すニュースを見て、すごく嬉しいし羨ましく思う。私の家も昔、米や野菜を作っていた。毎年大きなビニールハウスで種から米を育て、田んぼに植え替えて、大きな機械で夜中まで脱穀していた。大変な割に粒は小さいし自分ちで食べてお歳暮に配れば終わるほどの量だったけれど、何だか幸せだったなあ。その後人手不足とか仕事の大変さとか減反政策とか都市計画とかで農地はどんどん減らされ、今は母の家庭菜園しかないことを残念に思う。今頃になって食糧危機とか食料自給率低下とか慌てても遅いんだっつうの。お前らの仕業だろうって、マジ思う。今からやりなおそうったって、もうあの頃の農地は宅地やセメントに変わり場所もない。税金が減るからだろう、農業委員会は農地に戻す許可も滅多に出さない。一面田んぼだったあの頃は、緑が多くて空気がきれいでアメンボやめだかもたくさんいて、収穫した食材をご近所さんと物々交換して、繁忙期は仕事も家族で助け合って、農家は早寝早起きだから電気代もエコで、体も毎日動かすから糖尿病とかなくて、あぜ道とか犬を散歩させる場所もたくさんあって、添加物のない食事を毎日食べて、本当に幸せな日本の姿だったと思う。日本中こんな場所ばかりだったら、重大な犯罪などなくなるんだろう。いくら貧乏でも学がなくても、住まいがあり食べ物に不安がなければ、人間って一番心安らかに生きていけるんじゃないのかしら。例えば見本なく都会に出て多大な選択肢の中で迷うこと、これはかえって生きることを難しくする。使い方も知らない者が変にお金を持つこと、今度はなくなる不安がつきまとい心に余裕を無くす。そんなんだったら、生まれたときから当たり前のように農家であり後を継ぐこと、そういう道がシンプルで幸せだと思うのだ。その代々受け継がれてきた幸せを壊したのは全て国家戦略である。代々政府のわざとらしく間違った策略と官僚の意地汚さである。甘い汁をぶら下げて農家を潰し、日本の気高い伝統や精神さえも捻じ曲げたのである。農家だけで生きていけない事を悟った子は志ないままに他の道を選び、なんだか空しく金のために定年まで働く。本当は地元に戻り農家をしたい40歳台率は、たぶん80%以上もあると思うのに。親も本当は自分の仕事を継いでもらいたいのに、稼げない農業で子供に辛い思いをさせまいと都会に送り出し、少額の年金で余生を寂しく過ごす。どちらも素直になれずに、その後悔が個人にも社会にも国にもゆがみを生じさせる。鬱や焦燥感や自己無力感、寂しさ、ふとした時に感じるこういう思いって、その子供や孫さえにも影響を与え、とうとう病んだ今の日本が出来上がった気がしてならない。こうなったら法律で農林水産業の所得の保証がされて、もし都会に出たとしても絶対40歳までに自分か嫁どっちかの地元に戻らなくちゃいけなくて、しかも3親等以内の家族は絶対同居することが義務づけちゃいましょう。田舎は昔のような大家族となり、人口も増え商店街は活気を取り戻すだろう。農家は人手が要るし、世話してくれるばあちゃんもいるから嫁はもっと子供も産みたくなるかもしれない。人々は必然的に自由と一人の時間を失うが、鍵っ子や孤食や孤独死なんて痛い言葉も消え去る。妻に田舎へ帰りたいといえなかった旦那も「国民の義務だから」と堂々と我慢続きの会社を辞め、親の農業や林業や水産業や酪農を継ぐだろう。自営で嫁もいつも旦那と一緒に働くわけだから、旦那は浮気する暇もなく安心。一番いいのは子供で、死を目の当たりにして命の大切さを理解したり、自然の怖さを実感したり、話し相手も常にいるし、ママも教育ママとなるほど暇じゃないだろうし、おばあちゃんの健康料理も毎日食べるし、親を手伝うことで脳や体の基礎を作り、将来の不安からも解放されるだろう。税金が減り疲弊するのはきっと大都会だけであり、その件に関して私は極めて賛成である。あとは嫁姑問題だけどうにかすれば・・

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